たー坊の適当な人生

見た目より、適当な人生かもしれません

書店は知の宝庫。今後の人生を変える本に出合えるかも。

どうも最近、本屋さんに行っても、

なかなかこれはと思うものに出会う事がなくなった。

 

もしかしたら、書店が中型という事が原因なんだろうか。

都市部の大型書店にいくと、たしかに地元書店にはない本がある。

そんな時、自分の興味・関心が薄れてきた原因を探るのである。

 

特の好んで読んでいたのが、ビジネス本だったり、

その他「読書術」の本は好んで読んでいた。

書いてある内容は7~8割程度は同じなのだけど、

他の3~4割程度が新しい発見だとすぐ購入する。

 

高校生位までは、読書とは無縁の生活をしていた。

家庭に特に全集とか本とかある訳でもなかったし、

両親が特に読書家ではなかった。

 

今思えば、その時代にもっと本を読んでいれば良かったと、

多少は後悔しているが。

 

でも大学生になってから、学校まで電車通学という環境に恵まれ、

本を読むきっかけが出来るようになった。

やはり出来る子というのは、学校の勉強においてであるが、

成績が上位の子だと読書好きな人が多いような気がするのである。

 

これはあくまでの個人的な推測であるが。

結局のところ本好きになるか否かは、

きっかけに寄よろところが大ではないだろうか。

 

親が大の本好きで、常に家に本がある状況。

何かのきっかけで本を手にとってみたら、

物語に没入して時間を忘れてしまう感覚。

 

そうなったらしめたもの。

以後も本なしでは生活できないだろうと思うのである。

 

自分がそもそも大学生になる頃、読書に目覚めたのは、

予備校時代に遡る。

親に甘えさせて頂き、通学できなくもないところにあったのだが、

寮にいれさせていただいた。

 

今、その事に関して、多大なる感謝を持ち続けている。

その後の人生、ちょっと大げさかもしれないが、

が変わったからである。

 

その寮には県外から個性的な人が集まり、

意外と見た目とは違って読書好きな人物が、

多かったような気がするのである。

 

その様子を見ていると、自分も段々と本を読むようになり、

いつかしか本なしの生活は考える事が出来なくなってしまった。

 

月に約1万円は本代につぎこんでいる。

読書家にとっては、少なすぎると言われるかもしれないが、

自分のお小遣いの範囲ではこれが目いっぱいなのである。

 

もっと自分の可処分所得が増えれば、

その分本代に回せるのだが。

 

なるべく書店には週1度は行くようにしている。

なぜなら最低でもその頻度で行かないと、気持ちが悪いのである。

 

このインターネット全盛の時代にあって、

まだ自分は書店には何かしらの可能性がると思っているし、

未知の知識との出会いをひそかに楽しみにしている。

 

確かにネットで本を注文する事は便利だ。

でもこれまでにもあったが、中身を見ずに買って読んでみたら、

失敗してしまった例が結構ある。

 

その反面、何気に手に取ってみた本が、

意外と面白かった経験もある。

 

つまり書店の役割はまだあって、

いくらネットで買い物が出来るといっても、

本の場合は別物と考えた方が良い。

 

いわば書店は「知の宝庫」。

むしろ足を運んで買わないと本に失礼だ。

 

だからどんなに電子書籍が持ち運びに便利だからと言って、

紙の本はなくならないで欲しい。

それが今一番の心配事である。

 

本をかばんに忍ばせ、ちょっとしたすきま時間に、

さっと取り出して読む。

この行為はとても知的であり、恰好が良いものだ。

 

むしろその姿を息子に見てもらいたい。

過去の自分がそうであったように、

人は人から影響を受けるものだからだ。

 

本を読むという行為は、他人の考えを自分の頭にダウンロードして、

考えを共有、または批判する行為。

 

時代を超え、国を超えそそのような事が出来るのは、

本しかない。それを考えると、本代はとても安すぎるのではないか。

ビジネス書なんて約1,500円前後で購入出来る。

 

そして自分の考え、思いつきのメモをどんどん本に書いていっていいのだ。

この事はどの「読書術」本にも書いてあるのだが、

本はどんどん汚していっていいのである。

 

そうやって知識をどんどん自分のものにするのだ。

これからも書店に通い、新しい発見をしたいものである。