たー坊の適当な人生

見た目より、適当な人生かもしれません

「迷い」と「決断」。その結果の「失敗」も「成功」も決めるのは自分自身だけ

すでに転職するには、遅すぎたかもしれなかった42歳での決断。

2年前の7月、約17年間務めた会社を辞め、新たな挑戦を致しました。

 

ちょっと「挑戦」という言葉は大げさかもしれませんが。

大学を卒業して、東京で就職しようか、

または故郷の宮城に帰って就職するかの本当にギリギリまで悩んでいたのです。

 

あの当時、就職する事に対して、なかだどうでもよい感じで、

特に焦りみたいなものは無かったのです。

特にしたい事も無かったし。

 

本当は大学入学する時点で、将来のビジョンが描けず、

みんなが大学行くから、ただ何となくという感じで行くのならば、

大学に行く意味は無かったのかもしれませんが。

 

今思えば、両親には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

結局、就職するに関して、若干の紆余曲折はありましたが。

地元に帰ってきて、ホテルで働く事に決まりました。

 

ただ、4年間といえども、関東圏で生活した事で、

もう少しそこで生活していたい気持ちはあります。

だって、東京は凄く便利だし、遊ぶ場所もたくさんあり、

色々な人との出会いも将来的に期待がもてるからです。

 

20代だった自分にとって、凄く魅力的でした。

でも、いざ東京で就職してみないと何とも言えない部分はありますが、

人間関係で疲れて、もう実家に帰りたいなんていう事も、

たまに聞きますからね。

 

その当時自分自身、結構心の葛藤がありました。

自分を東京圏の大学に4年間行かせてくれたのだから、

就職は地元に帰ったほうが良いのでは。

 

どうせ将来的に地元に帰るのであれば、

もう初めから帰ったほうが良いのではないかとか。

凄く当時悩んでいた事今でも思いだします。

 

なんていうのかな?罪悪感みたいなものがありました。

変な言い方かもしれませんが。

でも、最終的には、帰省する事にしました。

 

そして、地元のホテルに就職してから約17年間勤務する事になったのです。

ただやはり肌感覚として感じた事は、時間の流れのスピードが遅い事、

情報量がもの足りない事、出会える人の絶対量が少ない事、生活の利便性が劣る事。

等。

 

でもまったく良い事がない訳ではなく、

徐々にやはり生まれ故郷の良さという部分も実感できるようになりました。

 

今では、当時働いていた付き合っていた彼女が、今の奥さんです。

これが人生を決定づけた出来事と言っても過言ではありません。

職場結婚というものです。

 

尚且つ働いていたホテルで結婚式を挙げる事も出来ました。

今、小学2年の息子がいます。

 

あの当時の決断が無ければ、息子にも出会える事は無かったでしょう。

人生には「迷い」と「決断」の連続です。どれが正解という事はありません。

人によって違うからです。

 

常にその事は人間は悩み続けます。

本来ならば正解はないはずなのに、人間は常に正解を求め過ぎているのではないでしょうか。

 

「失敗」と「成功」を決めるのは常に自分である事。

時として人の意見を仰ぐ事もあれば、参考程度に人の意見を聞く事もあるでしょう。

小さい事から大きな事まで、「迷い」と「決断」はあります。

 

大方脱線してしまいましたが、

人生において「転職」は大きな決断を迫られます。

年齢によってもその度合いも違いますし、

尚且つ置かれた家庭環境にも左右されます。

 

どんどん年齢が上であればあるほど選択肢は少なくなってきます。

それと時代にも左右されます。

 

かつての日本は「終身雇用制度」と

「年功序列賃金制度」が前提となっていましたが、

今はとっくの昔に崩壊しました。

 

という事は転職環境も変わったという事。

安心して定年退職まで一つ同じところで働けるという、

保証はどこにもありません。

 

逆にチャンスではないでしょうか。 

インターネットの普及、ボーダーレス社会によって、

国境がなくなりました。

 

健康寿命も延び、70~75歳位まで働き続ける必要もあるのです。

一番は少子高齢化によるものです。

これからは人口減少によって、働き手も少なくなってきます。

 

今の仕事がどんどん「AI」にとって代わられるようになります。

なので。今安穏と何もしないでいる事は、

とてもリスキーなんです。

 

今すぐ行動をしなければなりません。

その時はきっと「迷い」と「決断」という事が、

自分の前に現れる事でしょう。