人生は「迷い」と「決断」の繰り返し。その事については、正解なんてないのだ。
日々、我々は小さな決断、迷いの連続で生活しています。
人生は選択と決断で今の自分がある、
とは以前にテレビドラマでもそんな言葉がありました。
人生には「迷い」は常につきまといます。
よくある迷いが、誰かに連絡しなければいけない時。
そんな時は先送りしても良い事はありません。
迷ったら、すぐに連絡してしまいましょう。
良いにしろ、悪いにしろその後は気持ちがすっきりします。
これまでの自分の人生を振り返ってみると、
後悔している事の大半が、しなかった後悔がほとんどではないかな。
そもそも人は何故迷ったりするのでしょうか。
もしその選択が今後の人生において、
重大な意味を持つのであれば相当迷いますね。
でもそうでなかったら、別に迷いもしないだろうし。
これまでの自分の人生を振り返ってみると、
「迷い」なんてそんなになかったかも。
元来適当な人間を自負しているので、
そもそも迷いがそんなにありません。人生の岐路にさしかかった時、
迷いが生じる時があります。
過去の自分において、大学に進学しようか、
それとも専門学校にしようかと迷った時期がありました。
その時は両親の有り難い援助のお陰で、
大学進学をする事が出来ました。
今でも両親に感謝しなければいけません。
時として、自分の人生を振り返る時があります。
その時、過去の自分の迷いや選択について、後悔する場合もあります。
でもそこはあくまでも固執するところではないのです。
今自分は44歳ですが、人生のまだ半分。
人生100時代とすると、まだ半分に満たしてません。
今後は医療のさらなる進歩、IT技術の発展に伴って、
我々の社会はどのように変化していくのでしょうか。
インターネットの発展によって、社会が急発展しました。
世界の国境も無くなった感じです。
「決断」には勇気が必要とされる場面もあります。
その決断によって家族に何か変化があったら大変です。
でも最近は、その都度「迷い」や「決断」せざるをえない場合は、
あまり深刻にならないようにしています。
なぜなら「適当な男」を自負しているからです。
「適当」という言葉を聞くと、どうもいい加減なイメージがありますが、
そもそも論として、いい加減とは「良い加減」という事も可能です。
その適当さともいえる部分がないと、人間は行き詰ってしまいます。
遊びの部分が必要です。遊びつまり余力という事なのでしょうか。
これからも「迷い」と「決断」の繰り返しでしょうが、
その事を楽しめる人生にしたいと思っています。
Sponsored by イーアイデム